青空の下で

かけがえのない今日という日々

青く腐ってたまるかと食欲のわかない青い果実は話す

苦しみたい奴は勝手に苦しんでいる。そうでないケースもある。力がない故に圧倒的な苦から逃れられないみたいな。
僕は心から状況が納得できないスタンスで世の中を渡っていたくない。神意が祝福を挙げて、地面に二の足で挙立する僕であれば僕自身は安心して呼吸ができる。
安心。安心しても、なんだか不穏な曇りに覆われていて心から笑えなければ其れは僕にとって許しがたくて身体がムズムズしてしまう。
心から笑えるか。泣けるか。僕は感情を出すことがなかなかできなかったからこそ、そういうことが当然のようにできる世界で生きることをしたい。
たった一度の人生という題目に汚されて、焦って何一つ手をつけられない時期があった。何かを成し遂げるには人生は短い。でもこの身体で生きていくしかないと思いつめるほかないから、こうやって文章を書いている。
表現者、芸能をやる方は個人と接しすぎるのは良くないと僕は思うが、そういう観点の僕がそれを推し進める環境に所属しているが、僕自身が初めからそのようなことをやりながら平気で活動を広げられるような価値を原初から成し遂げていたわけではないので、だからこそさまざまな未満を受け止めて一つずつあるべき姿と接続を果たす努力をしていきたい。だめな野郎はだめなりに仕上がっていくのだ。そうして成り上がった先に周りに何があるかがその人らしさと呼ばれるものだと僕は思う。
心から。他者が築いた人生ではない僕の人生。僕は僕で築いていきたい。
他者が築いた人生とうまく調整して、心地よい世界を造ることも今後は必要やなと思う。それは自分自身を律しきれた先にある課題。
他人の話で揺さぶられるほど僕は僕自身を使いこなせていなかった。これから先の僕は僕という才能が世界上で一番ほどよく僕が思う神意が納得し幸福な世界を成し遂げられる器を探して出逢い、使いこなしていく人間になりたい。そうすることで喜多健介という命はようやく世界の舞台に足を踏み入れることになるわけだ。
今はもがきの日々。全ての行為はまだ、未然だ。早く当然になりたい。それは急げないし、止まることもできない。だからやるべきことをしっかり達成していきたいね。
こういうことを十年若いうちに出来ていれば良かったけれど僕には出来なかった。失敗や影響を考えて僕自身が責任を負う覚悟を持てなかった。これから僕は自分自身の行為に責任をもって戦い、生きていかなければならないんだろう。成し遂げたい。心から。